沖縄健児の意気高し 第55回高校選手権ルポ(サッカーマガジン)
~文章はサッカーマガジン 昭和52年2月25日号より~
沖縄健児の意気高し
「チバリョウ! 豊見城!」
在京応援団の’’がんばれ!豊見城''の声援と、祭り太鼓の音に送られて、ハイビスカスの大輪の花を思わせるような深紅のユニホームが西が丘のグラウンドいっぱいに散らばった。
ゴール前に構えた主将の大城も、バックスのかなめの玉城も、ハーフの下地も、トップの比嘉も、みんながあらためて、「夢にまでみた全国大会の、ひのき舞台に立ってるんだ!」と、たかぶる気持ちを抑えて芝生をしっかりと踏みしめた。
「いいか、マークはミーティングで話したとおりだ。二十本を目標にシュートを多くやろう! 終わったら立てなくなるまで、精いっぱい走りまくろう」
屋比久正監督の言葉が、イレブンの熱い血をたぎらせていた。
全国総体県代表を前原高にさらわれた夏の時点から、この全国選手権に向けて二年生主体のチームに切り替えた。 かっかと照りつける沖縄の陽の下で、’’走るサッカー’’をモットーに苦しい練習を続けてきた。
大城はじめ、小那覇、名城、下地、、金城、新城の二年生は、最後まで残って力づけてくれた三年生のためにも初戦を飾りたかった。 また、玉城、比嘉、知念、富山、瀬長らの三年生は、高校生活の有終の美をかざり、あとに続く者のために沖縄健児の意気を見せたかった。
青山主審のキックオフの笛がひびきわたった。
時に昭和52年1月2日午後1時50分-。
対するは、二年連続出場の日大山形であった。
昨年は一回戦で上野高を5-0で破り二回戦へこまをすすめていた。今年はサッカーどころの秋田勢、西目農を破って出場した西奥羽代表の好チームである。 初出場の豊見城にとって、不足のない相手だった。
豊見城イレブンは、初めての県外試合とは思えないほど、はつらつと動き回った。
トップの比嘉がボールを持てば、ハーフからバックス陣まで、全員がよく押し上げた。
To be continued
※サッカーマガジン表紙は、23歳のジーコ
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