東京の寒さに震えた! 第55回高校選手権ルポ(サッカーマガジン)

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2011年03月05日 08:00

 初の首都圏開催の「全国高校選手権大会」で、一県一ブロックとなった沖縄から、豊見城チームが初参加した。
 沖縄とは十度も気温が違う東京の寒さを克服して、見事に初陣を飾った。創部8年目の快挙だが、それにも増して、全国大会の場で豊見城高が得たものは、沖縄サッカー向上のための、数々の教訓であった。





東京の寒さに震えた!
豊見城チームが、羽田の国際空港へ着いたのは、昨年12月29日の午後2時であった。 女子マネ二人を含む十九人の選手のうち、東京へ来たことがあるのは、比嘉と玉城の二人だけだった。 那覇を発つときの気温が十四度-東京は目もあけていられないくらい寒いぞ-そう聞かされていた選手たちにとって、思いのほか、暖かかった。 よかった、と、みんなはほっとした思いで本郷の真成館へはいった。 しかし、翌朝になって氷点下二度の寒さに選手たちはやっぱり東京は寒いな、と震えた。

 午前10時から御殿下の東大グラウンドで初練習を行ったが、手足の感覚がなかった。 鼻がもげそうに痛かった。少し走ると南国の気温になれたノドが痛んできた。ボールをけってもタイミングが合わなかった。ちぢこまって声も出せない選手たちへ、屋比久監督はハッパをかけた。
 「東京の寒さはわかってたはずだ。つらくてもこういう環境でゲームをやるんだ。みんなが早くこの状態になれることだ。どのくらいやれば、自分で思うようにできるか、知ることだ」
 そのために屋比久監督は、沖縄でのウォーミングアップの倍の時間をかけた。体力のある玉城や比嘉はわりに早くなじんだが、細い二年生たちはいつもカンを取り戻すために時間がかかった。 おおみそかはもちろん、元旦も開会式に続いて天皇杯の前半だけ見て、午後三時から練習した。
 まだ不安があったし、できる限りの努力をしようと屋比久監督は思ったのである。
 そして迎えた第一戦の朝も、たっぷりエンジンをかけてのぞんだのだった。
「今年の体験から、この次にくるときには、もう少し日程の余裕をもって上京し、二、三試合やって体と感覚を十二分に養っておきたい」
 と、屋比久監督は語っていた。

 初戦を勝ちとった豊見城の選手たちは幾らか余裕がでていた。
「飯もバンバン食べられたし、夜もぐっすり眠れました」
 そういう比嘉や玉城にも、朝の寒さが応え、那覇ではパッととび起きる彼らもふとんが恋しかった。
 屋比久監督は、大半の選手たちがいつもほど熟睡していないことを知っていた。合宿の機会がすくないから無理もないことだった。 試合の翌日はややきつめの練習を小石川高のグラウンドでやったが、大半の選手が体が重たそうで動きがわるかった。 環境の違いと寒さからくる疲れがたまりはじめてるようだった。 体力の落ち込みを防ぐ意味からも、屋比久監督はハードな練習を手控えた。

~文章はサッカーマガジン 昭和52年2月25日号より抜粋~

To be continued



※吉貴さんが持ってる旗、私ら(21期)の頃は部室に大事に?置かれてましたが、今もあるんでしょうかね・・・?

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