初陣飾った豊見城 ~昭和52年1月3日 報知新聞~

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2011年03月02日 08:15

~昭和52年1月3日 報知新聞記事~

やった!! 豊見城-日大山形戦
前半9分、名城のシュートが決まって豊見城が先手をとった





寒さガッツで克服
県外試合 経験者わずか二人
 昨年の春、夏、赤嶺投手(巨人入り)を擁して甲子園を沸かせた野球の豊見城がサッカーで勝ち名乗り。 初出場のハンデを乗り越えて「勝てるとは思ってなかった」(屋比久正監督) 一回戦を突破した。

 沖縄は昨年まで予選は南九州地区、しかも毎年敗れてばかりで一度も代表を送ったことはない。 それが今大会から沖縄県として独立した。 そして県内三十八校の頂点に立つ沖縄代表として豊見城が東京の土を踏んだ。

 スタンドにはカラフルな沖縄衣装の約三十人、東京に集団就職している若者たちの集まり「ゆうなの会」のメンバーが応援にかけつけた。 ''エイサ踊り''という盆踊りの時に着る羽織のような着物を着て大きな太鼓をドンドン打ち鳴らして陽気な声援を送る。

県外試合の経験者はFW・比嘉、FB・玉城(ともに国体代表)の二人だけ。
 試合内容も豊見城にとってはきついものだった。たとえばシュート数でも日大山形の六分の一の五本しか打っていない。 2得点はHB・名城と下地が、ともに一本ずつ放ったシュートが決まったもの。「シュートを二十本打てれば・・・」(屋比久監督)という目標は達成できなかったが、前半の2点を必死に守り抜いた。
 9分、ゴール前の混戦から比嘉が頭で落としたところを名城がゴール左すみに転がし込んで先制。 さらに36分には名城-瀬長とつないで下地が押し込んだ。

 チームは二十九日に上京して、あまりの寒さに目を回したという。気温13度の沖縄にくらべたら東京は10度も低いのだから無理もない。 東大・御殿下グラウンドでの練習では「足がかじかんで痛く、ボールがけられない」と訴える選手が続出したそうだ。 そこで相手チームより二時間早くやってきて「やりすぎと思えるくらい動きまわって、からだを温めてから。」(屋比久監督)のぞんだゲーム。
二年生のGK・大城主将は「ガッツで勝てると思った」といった。

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